式子内親王の歌
平安時代は、和歌の時代、専ら和歌でもってコミュニケーションをとっていたのだが、日常的だから簡単なものかと言うと、決してそうではない。中学生とか高校生の興味を引くために、和歌はラブレターと同じだの、心のままに読めば良いだのと言う国語教師も多いわけだが、全くそんなことはない。本当は途方もなく奥が深く、素晴らしいものである。文学というよりも、芸術の範疇にあるのではないかと思う。
かくいう私も、和歌というのは書の題材としか思っていなかったわけだが、式子内親王の歌を見たとき、和歌も良いものだなと思った。その歌が下のようなものである。
あまつ風こほりをわたる冬の夜の
をとめの袖をみがく月影
この歌の景色は、頭の中で即ち再現できるものである。決して自分の心を読んだものではなく、また漢詩のように難解な哲学があるわけでもなく、純粋に風景を読んだものである。
式子内親王は平安末期の女流歌人で、百人一首には「玉の緒よ・・・」の歌が採られており、恋歌のイメージが強いかも知れないが、実際はこのように、景色を詠むことに殊の外長けている歌人である。あらゆる技法をさりげなく使っておきながら、それでいて、景色がすぐに頭に浮かぶという、歌の基本が完璧である。
といっても、私は歌人でも何でも無く、あくまでも歌は書の題材として見ているのだが、題材を選ぶときに、素晴らしいものをなるべく書きたいと、書人は思うのである。
歌は、一つの世界、乃至は空間を創造するという点で、書に似ている。空間の支配力が物を言う。どうしても式子内親王の歌を書くときは、その清冽で仄かな美の空間に引きずり込まれ、逆に空間を支配される感覚に陥る。まだ私が未熟だということかもしれない。
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